始まりの6日間(その4)
皇帝ノ月二日の朝、ボイコットを伝えるべく食堂を訪れたキタツミ率いる女性陣が見たのは意外な光景だった。
冒険者たちでざわつく朝の食堂の壁際、宿の自慢の一つである引き立てのコーヒーの味と香りを台無しにするようにどばどばとミルクを注ぎ込んでいたのはアワザだった。六人掛けの席にいるのは彼一人、ナーバンは、昨日あれだけの横暴を押し通した金髪の小さな暴君はどこにもいなかった。
「起きてこない? あれだけ焦ってたヤツがなんで?」
心底意外だという顔で尋ねたキタツミに、白く濁ったコーヒーに砂糖を流しこみながらアワザは答える。
「起きられないんだそうだ。手足が異常に重く、置きあがろうとすると背中に激痛が走る。肌がパンパンと張る感じがして触るとのけぞるほど痛む、と」
「まさか! ナーバン様の体に何か!? もしや昨日の探索で魔物に毒かなにかを食らったとか!?」
蒼白になるエリホに対し、キタツミは無言、アワザも取り乱す様子はない。むしろ説明を聞くほどに、発散しようとしていた熱気が薄れていくのをキタツミは感じていた。
「ねえ、それ……」
「ああ、筋肉痛だ」
「ぶっ」
呆気にとられるキタツミとエリホ。誰かが噴き出す声が聞こえた。
「ねえエリホちゃん、体どう? 痛い?」
席に着いて食後の紅茶を飲みながらキタツミは尋ねる。
「あ、ええと……さすがに節々は痛いですけど、動けないほどでは……」
「シバンポは?」
「ゲンキでス!」
続けての問いかけににっこりと微笑むシバンポと、何一つ問題はない自分の体、目の前の隆々としたアワザの肉体を見比べて盛大なため息をつく。
「つまり、アイツは完全な素人だったってわけね……」
「翌日に疲れを残さないのは冒険者の基本だ、いや、冒険者に限らず普通に生きていれば自分の限界くらいはわかるはずなんだがな」
たった一日の付き合いだったが、寡黙だと踏んでいたアワザが意外と喋るのでキタツミは驚く。が、語る内容は至極まともなので頷いてもう一度ため息。
異常なまでに焦りを先行させ、強行された昨日の探索。その強行に、提案者だけがついていけなかった事実。また矛盾している。
この矛盾の正体がわからないままこのギルドが活動していくことは危険、というよりは不安であるとキタツミは考える。
割り込む形で加わったにもかかわらず、事実上サブリーダーの位置になってしまっているおせっかいな自分の性分に苦笑いしながらテーブルを見回すと誰の手元のカップにもう飲み物は残っていなかった。それでも誰もおかわりを頼んだり、席を立ったりしないのは彼女の指示を待っているのだろう。
結局はそういうこと。ナーバンが何を思ってかは知らないが、そういう人間を集めた結果がこのツーカチッテなのだ。
「とりあえず、筋肉痛で寝込んでる王子様に面会に行きましょうか」
キタツミの提案は当然の如く、満場一致で受け入れられた。
ノックの音ががらんとした廊下に響いた。
昼過ぎともなれば冒険者の殆どは樹海へと入っている。残っているのは事情を抱えて留まっているものか怠け者のどちらかだが、その数は多くない。
結構な回数のノックにも呼びかけるキタツミの大声にも誰も反応しなかったのはそういうわけだ。ただ、呼びかけられている本人、ナーバンからの応答もなかったのだが。
「入るわよー」
無言に対して危機感を感じるでもなく、おそらく起こっている中の状況を予想しながらキタツミは扉をあけた。
ナーバンの部屋は宿屋の廊下の突き当たり、一番奥のスイートルーム。といっても冒険者御用達の宿だからそこまで豪壮なものではなく、ベッドの素材がよくて広い、その程度の部屋だった。他のメンバーは普通の冒険者と同じようにその日その日で宿をとることになっており、特に予約をすることもない。それがいつ死ぬかもわからない冒険者達の流儀であった。
だが、ナーバンは違う。あの日持っていた有り余る金でその部屋を超長期に渡って借りたのだ。他の人間とは決して同じ部屋にならないように、一人でいられる部屋を手に入れたのだ。
(また矛盾してる)
キタツミは部屋に入るとそう思った。
自分たちの物と比べればそれなりに豪華な部屋にぽつんと置かれたズタ袋。豪奢な服装に身を包みながら這いつくばった自分たちのギルドリーダー。
矛盾を次々問い詰めてやろう、自己管理もできないことを皮肉ってやろう、情けない姿を笑ってやろう。そう考えていたキタツミの表情は固まっていた。理由はどうあれ、動かない体をなんとか立たせようとしているナーバンの必死な姿は到底笑えるものではなかった。
「……大丈夫?」
ようやく絞りだした台詞がそれだった。踏み出した足に走った痛みによろめくナーバンの体を駆け寄って支えると、後ろから走りこんでエリホがその体を受け取る。
「ナーバン様!」
「お前ら……よし……樹海へ行くぞ」
聞いた全員が息を飲んだ。もはや無茶などという次元ではない。しかしその言葉は、意思は、あまりに強く咄嗟に否定できる者はいなかった。
「なにをしてる……いっ……」
「ダメです!」
最初に動いたのはエリホだった。抱きとめていた体をそのまま抱きしめて放さない。
「いっ、いだだだだ!? 待てエリホおまっ、はな、放せ!」
「放しません! 今日は休んでください! わっ、私たちは、今日はっ、ぼ、ボイコットしにきたんです!」
ボイコットをしに来るという表現はどうにもおかしいのだがエリホの言葉にもまた力があった。
「何だと?」
「今樹海に行かれたら死んでしまいます!」
「それを守るのがお前達の役目だろう!」
「何度でも言います。お休みください! 私、いくらでもお守りします! 命をかけます! でも、私が死んだ後はお守りできません! 今のナーバン様が迷宮に入ったら、多分一度では済みません! だから、だからお願いします!」
怒気を孕んだ自身の言葉にも怯まないエリホの姿は、誰よりまず当のナーバンを驚かせた。
二人のやり取りをじっと見つめていたアワザが口を開く。
「契約分は働かせろ、契約者死亡で金持ち逃げでは寝覚めが悪い」
続けてシバンポも叫ぶ。
「ゴシュジン! 無茶はダメでス!」
そこまで見て、ため息の後に、キタツミはしゃがみ込んでまだエリホに抱きつかれたままのナーバンに目線を合わせてゆっくりと語りかける。
「あのね、あのさ……えーと、アンタがなんで焦ってるのかは聞かないし、アタシらが聞けるだけの、あくまで聞ける範囲でよ? その、わがままは聞いてあげる。でも、だから……死に急ぐようなことはやめて。あー、でもできれば冒険の目標くらいはいつか聞かせてくれると嬉しいかな? それなら今後もヨロシクしてあげる。わかった?」
噛み含めるような口調で諭されて、ことさらバツの悪そうな顔になるナーバン。
無言を肯定と受け取ってキタツミは立ち上がる。
「それじゃ、今日のところは休みってことにして、明日からまた頑張り……」
「違う」
背を向けたキタツミに声がかけられる。
振り向くと、肩にエリホをぶら下げたまま満身創痍のはずのナーバンが立ち上がっていた。全身を襲う痛みに顔をゆがめ、ただ立っているだけで膝が笑っている。それでも今度は、立っている キタツミの視線に自分が合わせるようにと真っ直ぐ顔を上げて睨みつける。
「ナーバン様!?」
エリホが慌てて手を放す。一瞬ぐらりと揺れた体は踏ん張った足の痛みと引き換えになんとか踏みとどまっていた。
「違う、俺は死に急いでなんかいない。俺は消えたく、死にたくないんだ……だから目指している。あるはずなんだ、迷宮の奥に、俺の望むもの……急がないと、いけないんだ!」
「そ。うん、わかった。じゃあ、精一杯がんばろう、全員でそれを見つけられるように、ね?」
言って、また膝を折るナーバンにキタツミは満足げに微笑んだ。
メンバーが次々と部屋を出ていく。決意を新たにしたような、なにか満ち足りたような表情で堂々と出て行った。
ただその夜、なんとか動けるようになったナーバンがちょっとだけでもと言ってやはり強引に樹海へと向かった時にはその満足度はおよそ七割くらいにまで減少していたものの、という注釈は付け加えておく必要があるだろうが。
- 2010.04.19 Monday
- ツーカチッテの活動記録
- 02:59
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- by unabalife