始まりの6日間(その6)
「船?」
「ああ、元老院が手配して、ある程度の冒険者には配っているそうだ」
樹海に入って四日目、朝食の時珍しく話しかけてきたアワザの言葉にナーバンは耳を傾ける。
「樹海だけでなく本当の海も探索を進めてほしい、とのことだが」
「下らん……」
自分の目的は樹海の奥、本当の海に用はない。そう斬り捨ててナーバンはその日も樹海の探索に出かけた、のはずが……今現在、夜の海の上で黄昏ているのもまぎれもなくそのナーバンである。
夜の潮風は南の島であるアーモロード周辺でも涼しく頬をくすぐり、夜空の星々は満天という他ない。
その全てを満喫しながらもどこか虚ろな目で甲板に立つリーダーを、他の面子は心配そうに眺めるだけだ。まあそれはともかくとして、何故樹海へ出かけたはずの彼が今ここにいるのかを説明するには少し時間を遡る必要がある。そう、それはおよそ今日の昼の出来事にまで。
「一つ階を登っただけで随分といろいろ絡んでくるやつがいるな……」
ナーバンが先日の金髪のいけ好かない青年を思いだしながら睨みつけているのは眼前の人影。肩からすっぽりとマントのような布をかぶった、なんとなく冷たい印象を受ける、しかし美しい少女だった。
「初めまして、こんにちは。海都から来た冒険者のみなさんですよね?」
その冷たい印象が一瞬で逆転するやたらと明るい笑顔と声に誰もが戸惑う。鬱蒼と茂る常緑の迷宮の中で聞く口調にはとても聞こえない、強いて言えば接客の行き届いた宿屋にでも入った時のような明るさだ。エリホなどはもしかしてここは迷宮の中ではないのではとあたりを見回しているが、もちろんそこにあるのは先ほどまでと変わらぬ緑色の世界である。
「お前は誰だ」
昨日青年にしたのと同じ質問をぶつけると、今回はあっさりと返答があった。
「……怪しい者ではありませんよ。 あたしはオランピア、海都の冒険者を助けるために活動しているのです」
もう一度ニッコリと微笑んで、オランピアと名乗った少女は手にしたバッグから何かを差し出す。
ぴくり、とナーバンの眉が動く。仏頂面の中に、何か淀んだ物が混じった。
「それはなんだ」
不機嫌さを隠そうともせずにナーバンが睨みつけると、オランピアは笑顔を崩すこともなくぐいとその包みをさらに押しだした。
「テントです。この先にある野営地で使えますのでみなさんもよかったらどうぞ」
「そうか」
それだけ聞くとナーバンはその包みを受け取って、続きを話そうとするオランピアを無視して踵を返す。
「え、ちょっとナーバン?」
キタツミの言葉にもナーバンは取り合わないで進む。いや、正確には戻っていく。
あれだけ焦り、苦労してせっかく進んだ道を引き返し、先日見つけた近道を通って、あっという間に入り口へ至る。
「ちょっと、ちょっと!」
樹海から市街へと戻った頃ようやく、何度目かもわからないキタツミの呼びかけにナーバンは振り返った。
「なんだ」
「なんだじゃないわよ! なにやってんの? アンタに言っても無駄かもしれないけど人の厚意を受ける態度じゃないでしょ……じゃなくて、なんで戻ってんの?」
「……船に行こう」
「はぁ!?」
奇声をあげながらも、なんだかこの意味のわからなさこそがナーバンのような気もするキタツミは結局、渋々とそのあとに続く。続きながら考える。おそらく、この振り回されるのはずっと続くのだろうと。 そう考えてやれやれと肩をすくめはしたものの、不思議と怒りは湧いてこなかった。
前を行くナーバンはもう港の管理棟に足を踏み入れていた。
「で、そろそろ理由教えてくれる?」
「気づかなかったか」
簡単な手続きの後、海風に揺られて動き出した小船の上で、どっかりと座りこんで話しこむ体勢を見せたキタツミを立ったまま見下ろしてナーバンは告げる。
「前に、俺の求める物が樹海の奥にあるかもしれない、とは言ったな」
「聞いたね」
「さっきの女、なんと言っていた」
「え、テント使ってくれ、って?」
「もっと前だ」
その言葉に目をつぶったまま天を仰いで必死に記憶を辿るキタツミだったが、少なくともおかしな言葉を発していたという記憶がないため首を傾げる。
「確認していたな、『海都から来た冒険者か?』と」
横からそう言ったのはアワザだ。
「あー! 言ってた言ってた。で? それが?」
思いだしたキタツミが再度問うと、呆れた顔のナーバンが心底馬鹿にしたように言う。
「海都以外から来る冒険者がいるのか?」
「え……あ、いや、でもほら、別の国から来てすぐ樹海に入った人とかは『海都から』じゃないんじゃない?」
「ソレは無理なチューモンだと思うのデスよ!」
次に割り込んできたのはシバンポだ。予想外の人間に遮られてキタツミが目を丸くする。
「そう、無理だ。元老院から地図を受け取り、一階の地図を作り、再度元老院に報告しなければな。そこまでした人間が『海都から来ていない』と答えるか?」
「う、うーん、そう言われれば」
「前にあった金髪のヤツは一声目にこう言った『二階に来たばかりの新米か?』とな。アイツとあの女、オランピアの差はなんだ? エリホ」
「え、えと、あの男は元老院のシステムを知っているから二階に来たばかりなら新米だって解ってますよね。オランピアはそんなこと、二階にいる冒険者がどこの人間かすら知らない、というか……もしかして……えっと」
言葉に詰まったのは、自分の推理があまりに突拍子のないものだったからである。しかしナーバンはむしろその表情を見て確信したように続きを促した。
「えっとですね、その、オランピア自身が『海都から来ていない』のではないでしょうか。なんていうか、元老院の選定システムをスルーできる場所から。だからどういう経緯で冒険者がその場所にいるのかよくわかっていない……とか……」
「そして、その場所だが」
エリホの答えを受けついでそのままナーバンが語りだす。それはつまりエリホの説を全面的に支持していることに他ならなかった。
「樹海の入り口があそこだけで、あれだけの兵士が徘徊している以上……下だ」
「下?」
「もっと下の階から来ているのではないか、と言っている。そしてそこが、俺の求めるもののある場所かもしれない、そう考えている」
「樹海の奥からやって来たって言うの!?」
ナーバンは答えない。その替わりに背を向けてゆっくりとした足取りで船の舳先へと向かう。
そしてそのまま海をじっと眺めて、夜になって、船が港に戻るまで何も話すことはなかった。これが、冒頭でのナーバンの姿である。
そして次の日、と言っても船が戻ったのが深夜だったため次の夜だが、彼らは再度オランピアのいた場所へ向かった。
その場所に彼女はおらず、しかし夜も遅かったのでものは試しと野営地に向かうと、その野営地にこそ彼女はいた。
オランピアはナーバンたちの姿を認めるとまたニッコリと微笑んだ。目をギラギラさせてつかつかと歩み寄るナーバンの形相を見ても一切表情を変えず、微笑んでいた。
「何者だ」
「はい?」
「何者だと聞いている」
「あ、お忘れですか? オランピアと」
「名前ではない、何者だと聞いている」
その言葉を聞くと、一瞬驚いた顔をしたオランピアが口の端をあげてまた微笑む。しかしその微笑みは明らかにそれまでとは異質な、ドス黒いものを含んだ嘲笑に近いものだった。
「そんなこと気にしないで下さい。あたしはあたしの目的のためにやるべきことをしてるのです。時がくれば、あなたたちの力があたしの想像通りに伸びてくれば……お話しできることもあるでしょう」
表情とは異なり声のトーンは全く変わらない。しかしその変わらなさ、変わらなさ過ぎる平坦さが皆の心をぞわりと逆撫でた。
「どこから来た。答えろ、お前はどこから来た、おい!」
ナーバンは詰め寄る。返答はない。さらに詰め寄りってその胸倉を掴もうとした瞬間、オランピアの体はするりとその腕をすり抜けて、そのまま樹海の闇へと溶けて消えた。
「ちっ……」
舌打ちをしてナーバンはオランピアが消えた木々の間を睨みつける。
追いかければ死ぬ。
それが動きのとれない狭い木々の中で樹海の魔物に襲われてか、今消えた少女によってかはわからない。しかしそれははっきりとした確信となって、ナーバンに芽生えはじめた冒険者としての心の警鐘を鳴らしていた。
<しんじゃったら、なんにもなくなっちゃう>
どこからか、声がした。
その声に眩暈を感じて、ナーバンは小さくよろけた。それに気づいたのは傍らのエリホだけだったが、あまりに短い一瞬だったので何も言葉を発しないままでいた。
「船に行く」
翌朝、樹海からもどったナーバンはまたもそう言った。
彼の焦りをずっと感じていた面々の訝しげな顔を他所に、今度は昼の海でナーバンはただ黄昏た。
半日の航海とも言えない遊覧を終えて戻ると、ナーバンは自室へと戻ったらしい。
らしいと言うのは、港を出たナーバンが「先に戻る。今日の探索はナシだ」と言い残して足早に宿へと向かってから、誰も彼を見ていないからだ。
ただ宿屋の息子がした
「さっき見た気がしますけど、夕飯の仕込を手伝っていたので、確かではないです」
という曖昧な目撃証言を採用して「戻ったのだろう」という結論を得ただけのことだった。
そしてさらに翌朝、キタツミは見た。
掲示板に書かれた「しばらく探索は休み、再開時はここに書く」との伝言を。
そしてさらに昼、エリホは見た。
無理を言って鍵を明けてもらった、主を欠いた廊下の奥のスイートルームを。
そしてその日、シバンポもアワザも、ただの一度も見なかった。
己のギルドの自分勝手なリーダーの姿を。
これが、ギルド「ツーカチッテ」がこの世界に残した最初の冒険の記録、始まりの六日間の出来事であった。
- 2010.05.10 Monday
- ツーカチッテの活動記録
- 00:57
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- by unabalife