★はじめに
 この物語は「世界樹の迷宮3」のストーリーを追いながら展開していくリプレイ式の小説です。
 物語は二人の少年がそれぞれのギルドで冒険をしながら進みます。ゲーム内容のネタバレに関わりますので、未プレイの方、プレイ状況が作者より進んでいない方はご注意下さい。
 システム的な決まりごとでは、サイコロで振った日数ごとにそれぞれのギルドの探索を行います。例えばプレイ前に6が出たらゲーム内日数で6日一方のギルドの冒険を行います。その後サイコロを振り次に3が出たら他方のギルドに切り替えて3日冒険します。ギルドや船はゲーム内では一つしか持てませんので、一つのギルドに統合して物語上別々として扱います。
 それぞれのギルドの活動は、
★ギルド『ツーカチッテ』:通常の小説形式
★ギルド『C.A.S.W』:ギルドメンバー「ナナビー」の日記形式

で綴られていきます。
 二つのギルドと二人の少年の冒険がこの迷宮の果てにどんな結末を迎えるのか、最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

六代目 twitter

淀む三日間(その2)

 その日の夕方より、ツーカチッテの面々は樹海へと赴いた。
 入ってしばらくは数日の遅れを取り戻すようにゆっくりとした進軍だったが、感覚を取り戻してからは至って順調、二階の探索もなんら問題なく進んでいた。
 むしろナーバンがいなくなる前のペースよりも早くすらある。当のナーバンは終始無言で、誰もが初日の彼の姿を思いだしていた。
「……ふん」
 今しがた襲ってきた魔物の群れを蹴散らして、感触を確かめ直すように手にした剣を握りなおすナーバンを見てキタツミはそれとは別に一つ、疑問に思う。
「ねえ、アンタ少し……たくましくなった?」
「あ?」
 たかが数日、されど数日である。一日休めば取り戻すのに三日かかるなどとは冒険者のみならずあらゆる鍛錬において言われることだった。
 しかし武芸者としてのキタツミの見立てではナーバンは姿を見せなかった数日決してサボっていただけではないようだった。いや、むしろ樹海に入らず基礎的な鍛錬に終始していた自分達よりも感覚を取り戻すのが早いように見えたのだ。
「もしかしてアンタ、一人で樹海探索とかしてないわよね」
「する時は呼ぶ。だから今日も呼んだだろうが」
「そこまでのアホじゃなかったか……」
「フン」
 ナーバンはキタツミのこの物言いが挑発であることを感じて特に反論はしなかった。「誰がアホだ」などとでも言おうものなら待ってましたとばかりに賑やかされるに違いない、そうなればせっかくの集中が途切れることになるのは明白だった。
 キタツミとしては、また前のような焦りを振りまかれてはと危惧しての目論見を見事に外された形だ。
 ため息と引き換えに自分の精神集中を取り戻し、行き急ぐリーダーに遅れまいとするしかなかった。


 深夜、キタツミの心配は現実のものとはならなかった。
「あとは明日だ」
 ナーバンが探索の切り上げを宣言したのだ。疲労度は全体的に見て七割程度といったところで、なんとも絶妙と言える。
 キタツミはアワザと視線を合わせて互いの状態を確認する。消耗具合で言うならば互いに平均の七割、ほぼ同等に見えた。後に続くシバンポもそう変わらないだろう。
 これはおそらく久々の探索で著しく、九割ほど疲弊して見えるエリホのための措置だった。つまりナーバンは平均より下、まだ余裕があるように見える。
 キタツミはここに至って一つ認め、二つ疑った。
 ナーバンという男は自分達の誰よりも成長が早く、運動力に差はあれど単純な体力では追い抜かれた。それは認めた。
 しかし、およそ十日前には自分の体力の限界もわからずへばっていた人間が数日のブランクの後にパワーアップしている。そんなことがありえるのか?
 そしてもう一つ、彼はこんなに気の使えるリーダーであったか?


 街へと戻ろうとする背中に、聞き慣れない声が聞こえた。
「あっ、あの……」
 一同が身構えて振り向いたのはそれが先日疑念を抱いた相手、オランピアではないかと考えたからだ。
 だがすこし先の広場から声をかけてきたと見えるその影はあの不可思議な少女のものではなかった。
 金髪を頭の横でポニーテールにした印象的なシルエットに、ゾディアック特有の葬具も見て取ることが出来る。
 互いに敵意がないことを、無言で睨みつけるナーバンをなだめながらではあるが、示して間合いを狭めるとそのゾディアックの少女はおずおずと語りだした。
「アタシはムロツミというギルドの星詠みのカナエといいます。実は……」
 カナエの話はかいつまんで言うと同じギルドのシノビの少年とはぐれたので見ていないかというものだった。全員が顔を見合わせるが見覚えのある者はいない。
 それを告げるとカナエは心配そうにため息をついてもう一度控えめに尋ねてくる。控えめではあるが、先ほどよりは幾分力強い。その口調から彼女がそのシノビの少年を想う気持ちが伝わってくるようだった。
「あの! もしよろしければお願いを聞いてもらえません? この先でアガタを見つけたらどこにいたのかをアタシに教えて頂けないでしょうか!」
「断る」
 その切なる頼みを無下に斬って捨てたのはやはりナーバンだった。
「ちょっとリーダー!」
 わざわざ普段使わない呼称でキタツミが怒鳴ったのは単純な抗議ではなく、カナエに彼がリーダーであるとアピールする目的と、ようやく芽生えたのかと思っていた人を思いやる気持ちを想起させようという企みからだった。
「別に見つけろって言ってるわけじゃなくて見かけたら教えてくれってだけじゃない!」
「……見かけると思うか?」
「え?」
「シノビというのは素早く、その名の通り忍ぶものだ。単独ならばなおのこと身を隠しながら行動するだろう。それに加えて小さな少年だと? 積極的に探さずに見かけるなんてことがあれば奇跡だな」
「ぐっ……」
 キタツミは何も言えない。いちいち理屈っぽいな、くらいは言ってもよかったのだがいかんせんその理論にかなり同意してしまったのでどうにも格好がつかなくなっていた。
「…でも、…それでも、もしアガタを見かけることがあれば教えて頂けると嬉しいです」
 そう言うとカナエは深々と頭を下げて一同の横をすり抜けて去っていく。
 時間からして彼女も宿へ帰るのだろう。断った手前一緒に戻るのもバツが悪く、しばらくその場に気まずい沈黙が流れる。
「……もし奇跡的に見つけたら教えてあげなさいよね」
「見つけたら、な」
 しばらくたってキタツミが発した言葉に一応の同意をして、ようやくツーカチッテは帰路につくのだった。


 明けて翌日、探索は順調だった。
 昼間は活発に活動する巨大な鳥がいるため夜ほどの進軍は望めなかったが、それでも新人ギルドの進み具合としては充分過ぎるだろう。
 エリホもペース配分を思いだした様子で、なんの問題もなく一日が過ぎる。


 そして冒険再開から三日目の夜、三階に続く階段を早くも発見して、ナーバンはぼそりと呟く。
「ダメ、だな」
「え?」
 反射的にエリホが聞き返す。
「一昨日の女が話してたガキのことだ。一人でどうにかなる道のりじゃない」
 そう続けたナーバンの表情はいつもの仏頂面ではあったが、ほんの少し辛そうに見えた。
 確かに魔物が多少大人しい夜であっても彼ら五人が苦もなく敵を蹴散らして闊歩しているわけではない。
 時には押されて陣形が崩れたり、不意を突かれて逃げ出したり、そういった様々な戦闘をなんとか乗り越えてその中で前へと進んでいるのだ。
 相当の手練でなければこの階段まで一人で来ることは難しいように思えた。
「まあいい、他人のことなど構っている暇はない。明日からは三階を……」
<しんじゃったら、なんにもなくなっちゃう>
 不吉な考えを振り払うように、少し声高に宣言しようとしたナーバンの言葉が不意に途切れる。
「どうされました?」
 今度はエリホの問いにも答えない。
「とりあえず、戻るぞ」
 何事かと訝しがる面々を尻目に、ナーバンはそれだけ言って歩き出した。


「嘘ぉ……」
 無言のまま宿へと帰り、結局宣言の続きを聞かないままに解散したツーカチッテのメンバーが翌朝見たのは三日前と全く同じものだった。
『しばらく探索は休み、再開時はここに書く』
 連絡用の宿の掲示板に書かれたその文字を呆然と見つめて、次に互いの顔を見合わせて、がっくりと肩を落として、とぼとぼと部屋に戻るより他にどうしようもなかった。
「どこ行ってんのよあのアホリーダーはぁぁぁ!!!」
 午後、宿の庭で怒鳴りながら大木をドカドカと殴るキタツミの姿はこの後ツーカチッテの名物のひとつとなるのだが、彼女はまだそんなことを知る由もなく苛立ちを拳から太い幹へと叩きつけるのみである。


淀む三日間(その1)

 「ギルド「ツーカチッテ」のメンバーは明日朝、港へ集合しろ」
宿の掲示板にその連絡、というか命令が書き込まれたのはナーバンが姿を消してから3日ほどが過ぎた深夜のことである。
最初に見つけたのは酒場から朝帰りしたキタツミだった。
「っのバカ……」
舌打ちと共にずんずんと歩きだして廊下の突き当たり、ナーバンの部屋へと至る。
「いるの?おーい?」
冒険者が起き出すまではまだしばらくあったが、そんなことはお構い無しにドア叩くが返事はなかった。
しんと静まる廊下で体に残るアルコールの残滓を冷ますように深呼吸をして気を整えると、ドアの向こうの空虚な気配が伝わってきた。
「いない……か」
キタツミは自分の部屋に戻りベッドに身を横たえる。空は白み、窓から見える水平線から覗く太陽が肌に少しだけ汗を浮かせた。
今日もまた、熱い一日になるのだろう。


「集まったな」
インバーの港でギルドメンバーを前にしてのナーバンの第一声はそれだった。そして第二声はなくすたすたと船へと歩きだす。
「ちょい待ち。アンタ他に言うこと……あるわきゃないか……」
もう無視されるのにも慣れたキタツミは去り行く背中に弱々しくかけた言葉が地に落ちるのを確認して後に続く。
アワザはキタツミの方を向いてお手上げのジェスチャーを行い、エリホはいち早く走り出してナーバンの腕にぶら下がっていた。
「そういえばナーバン様」
「なんだ」
「この船の名前はお決めになったのですか?」
「船……名前か、必要か?」
「やはり、他のギルドもつけておりますし」
「ふむ……」
遠くからその様子を見てキタツミはまたむくれる。
「エリホちゃんには返事するのよねぇ」
「都合の悪いことは聞かない主義のようだな」
アワザがそう呟くと、シバンポが割って入った。
「アレはもうキョイゾンですネ。気をつけンと危ナイのデス!」
「キョイゾン?」
「ソです!チューイして見るのがイイですヨ」
「よくわかんないけど、あの二人に注意しろってことね……まあわかっちゃいるんだけどね……」
前方ではナーバンが船の名前を完全に思いつきで「ビフォアサウザン」として、それをエリホが絶賛している。
「アタシなんかと喋ってるより本人が幸せそうだからなぁ」
ぽりぽりと頬を掻く姿はなんだか嫉妬しているようにも見えてアワザは思わず笑ってしまう。
シバンポはそんな様子を知ってか知らずかまたニコニコとただ微笑んでいた。


船の上ではナーバンが難しい顔をして波間に映る朝日を眺めていた。
「どこに行ってらしたのですか?」
エリホが控えめに尋ねるが、ナーバンは答えない。
ただ、キタツミに対しては徹底的に無視を貫くのに対しエリホ相手だと少し困ったような表情になるのはやはりなにか後ろめたさがあるのかもしれなかった。
「お答えいただけないのなら仕方ないです。でも危ないことはお止めくださいね」
「ああ」
「操舵を替わって参ります」
「ああ」
心配げな顔をナーバンの脳裏に残してエリホは舵へと向かう。
どんな冒険者でも操れるように極力簡素化された舵ではあったが、基本的にエリホが担当していたのは曲がりなりにも海賊であった経験からだ。
ちなみに他の面子はというとナーバンはそもそもやる気がなく、シバンポに任せるのは不安だと全員が止めた。アワザは出来ないこともないらしいが積極的にはやらず、エリホが離れる際にはほとんどキタツミが舵をとっていた。本人曰く
「アタシは武者修行でそこらじゅう廻ってたから最低限なんでもできるよ」
とのことだった。
というわけで、エリホと交代してキタツミがナーバンの前に顔を見せたのだが、当然のようにナーバンは仏頂面で気にする様子もなかった。
「調子どう?」
やはり無言。
「なんで船なの?」
当然無言。
「樹海に行きたくないの?あんなに執着してたのに」
「行きたいに決まってるだろう!」
急に大声をあげ、拳をマストに打ちつけたナーバンにキタツミはたじろぐ。怒っている、というよりはなにかに葛藤し悩んでいるような表情だった。
「……気持ちの切り替えがうまく出来ていないだけだ」
が、その表情もすぐにいつもの不機嫌そうなものに戻り吐き捨てた言葉と共に手振りでキタツミを追い払う。
キタツミはそれを見て、これ以上の追求は互いのためにならぬとその場を後にしたが、案の定いつもの違和感に襲われていた。
「探索したいのに行かない?行けない?気持ちの切り替えってことは、何か別のことをしてたってこと?……あんなに樹海の奥に行きたいヤツが?」
(また、矛盾している)
積み重なる矛盾は増えるばかり。キタツミの心には硬く閉ざされたナーバンの心の隙間に挟みこまれた矛盾の楔がいくつも見えていた。
だがそれはまだ浅く、その扉が開くのはもう少し先のことである。
今はただその背中に纏う危うさから目を離さぬよう見つめ続けるだけであった。


始まりの6日間(その6)

「船?」
「ああ、元老院が手配して、ある程度の冒険者には配っているそうだ」
 樹海に入って四日目、朝食の時珍しく話しかけてきたアワザの言葉にナーバンは耳を傾ける。
「樹海だけでなく本当の海も探索を進めてほしい、とのことだが」
「下らん……」
 自分の目的は樹海の奥、本当の海に用はない。そう斬り捨ててナーバンはその日も樹海の探索に出かけた、のはずが……今現在、夜の海の上で黄昏ているのもまぎれもなくそのナーバンである。
 夜の潮風は南の島であるアーモロード周辺でも涼しく頬をくすぐり、夜空の星々は満天という他ない。
 その全てを満喫しながらもどこか虚ろな目で甲板に立つリーダーを、他の面子は心配そうに眺めるだけだ。まあそれはともかくとして、何故樹海へ出かけたはずの彼が今ここにいるのかを説明するには少し時間を遡る必要がある。そう、それはおよそ今日の昼の出来事にまで。


「一つ階を登っただけで随分といろいろ絡んでくるやつがいるな……」
 ナーバンが先日の金髪のいけ好かない青年を思いだしながら睨みつけているのは眼前の人影。肩からすっぽりとマントのような布をかぶった、なんとなく冷たい印象を受ける、しかし美しい少女だった。
「初めまして、こんにちは。海都から来た冒険者のみなさんですよね?」
 その冷たい印象が一瞬で逆転するやたらと明るい笑顔と声に誰もが戸惑う。鬱蒼と茂る常緑の迷宮の中で聞く口調にはとても聞こえない、強いて言えば接客の行き届いた宿屋にでも入った時のような明るさだ。エリホなどはもしかしてここは迷宮の中ではないのではとあたりを見回しているが、もちろんそこにあるのは先ほどまでと変わらぬ緑色の世界である。
「お前は誰だ」
 昨日青年にしたのと同じ質問をぶつけると、今回はあっさりと返答があった。
「……怪しい者ではありませんよ。 あたしはオランピア、海都の冒険者を助けるために活動しているのです」
 もう一度ニッコリと微笑んで、オランピアと名乗った少女は手にしたバッグから何かを差し出す。
 ぴくり、とナーバンの眉が動く。仏頂面の中に、何か淀んだ物が混じった。
「それはなんだ」
 不機嫌さを隠そうともせずにナーバンが睨みつけると、オランピアは笑顔を崩すこともなくぐいとその包みをさらに押しだした。
「テントです。この先にある野営地で使えますのでみなさんもよかったらどうぞ」
「そうか」
 それだけ聞くとナーバンはその包みを受け取って、続きを話そうとするオランピアを無視して踵を返す。
「え、ちょっとナーバン?」
 キタツミの言葉にもナーバンは取り合わないで進む。いや、正確には戻っていく。
 あれだけ焦り、苦労してせっかく進んだ道を引き返し、先日見つけた近道を通って、あっという間に入り口へ至る。
「ちょっと、ちょっと!」
 樹海から市街へと戻った頃ようやく、何度目かもわからないキタツミの呼びかけにナーバンは振り返った。
「なんだ」
「なんだじゃないわよ! なにやってんの? アンタに言っても無駄かもしれないけど人の厚意を受ける態度じゃないでしょ……じゃなくて、なんで戻ってんの?」
「……船に行こう」
「はぁ!?」
 奇声をあげながらも、なんだかこの意味のわからなさこそがナーバンのような気もするキタツミは結局、渋々とそのあとに続く。続きながら考える。おそらく、この振り回されるのはずっと続くのだろうと。   そう考えてやれやれと肩をすくめはしたものの、不思議と怒りは湧いてこなかった。
 前を行くナーバンはもう港の管理棟に足を踏み入れていた。


「で、そろそろ理由教えてくれる?」
「気づかなかったか」
 簡単な手続きの後、海風に揺られて動き出した小船の上で、どっかりと座りこんで話しこむ体勢を見せたキタツミを立ったまま見下ろしてナーバンは告げる。
「前に、俺の求める物が樹海の奥にあるかもしれない、とは言ったな」
「聞いたね」
「さっきの女、なんと言っていた」
「え、テント使ってくれ、って?」
「もっと前だ」
 その言葉に目をつぶったまま天を仰いで必死に記憶を辿るキタツミだったが、少なくともおかしな言葉を発していたという記憶がないため首を傾げる。
「確認していたな、『海都から来た冒険者か?』と」
 横からそう言ったのはアワザだ。
「あー! 言ってた言ってた。で? それが?」
 思いだしたキタツミが再度問うと、呆れた顔のナーバンが心底馬鹿にしたように言う。
「海都以外から来る冒険者がいるのか?」
「え……あ、いや、でもほら、別の国から来てすぐ樹海に入った人とかは『海都から』じゃないんじゃない?」
「ソレは無理なチューモンだと思うのデスよ!」
 次に割り込んできたのはシバンポだ。予想外の人間に遮られてキタツミが目を丸くする。
「そう、無理だ。元老院から地図を受け取り、一階の地図を作り、再度元老院に報告しなければな。そこまでした人間が『海都から来ていない』と答えるか?」
「う、うーん、そう言われれば」
「前にあった金髪のヤツは一声目にこう言った『二階に来たばかりの新米か?』とな。アイツとあの女、オランピアの差はなんだ? エリホ」
「え、えと、あの男は元老院のシステムを知っているから二階に来たばかりなら新米だって解ってますよね。オランピアはそんなこと、二階にいる冒険者がどこの人間かすら知らない、というか……もしかして……えっと」
 言葉に詰まったのは、自分の推理があまりに突拍子のないものだったからである。しかしナーバンはむしろその表情を見て確信したように続きを促した。
「えっとですね、その、オランピア自身が『海都から来ていない』のではないでしょうか。なんていうか、元老院の選定システムをスルーできる場所から。だからどういう経緯で冒険者がその場所にいるのかよくわかっていない……とか……」
「そして、その場所だが」
 エリホの答えを受けついでそのままナーバンが語りだす。それはつまりエリホの説を全面的に支持していることに他ならなかった。
「樹海の入り口があそこだけで、あれだけの兵士が徘徊している以上……下だ」
「下?」
「もっと下の階から来ているのではないか、と言っている。そしてそこが、俺の求めるもののある場所かもしれない、そう考えている」
「樹海の奥からやって来たって言うの!?」
 ナーバンは答えない。その替わりに背を向けてゆっくりとした足取りで船の舳先へと向かう。
 そしてそのまま海をじっと眺めて、夜になって、船が港に戻るまで何も話すことはなかった。これが、冒頭でのナーバンの姿である。


 そして次の日、と言っても船が戻ったのが深夜だったため次の夜だが、彼らは再度オランピアのいた場所へ向かった。
 その場所に彼女はおらず、しかし夜も遅かったのでものは試しと野営地に向かうと、その野営地にこそ彼女はいた。
 オランピアはナーバンたちの姿を認めるとまたニッコリと微笑んだ。目をギラギラさせてつかつかと歩み寄るナーバンの形相を見ても一切表情を変えず、微笑んでいた。
「何者だ」
「はい?」
「何者だと聞いている」
「あ、お忘れですか? オランピアと」
「名前ではない、何者だと聞いている」
 その言葉を聞くと、一瞬驚いた顔をしたオランピアが口の端をあげてまた微笑む。しかしその微笑みは明らかにそれまでとは異質な、ドス黒いものを含んだ嘲笑に近いものだった。
「そんなこと気にしないで下さい。あたしはあたしの目的のためにやるべきことをしてるのです。時がくれば、あなたたちの力があたしの想像通りに伸びてくれば……お話しできることもあるでしょう」
 表情とは異なり声のトーンは全く変わらない。しかしその変わらなさ、変わらなさ過ぎる平坦さが皆の心をぞわりと逆撫でた。
「どこから来た。答えろ、お前はどこから来た、おい!」
 ナーバンは詰め寄る。返答はない。さらに詰め寄りってその胸倉を掴もうとした瞬間、オランピアの体はするりとその腕をすり抜けて、そのまま樹海の闇へと溶けて消えた。
「ちっ……」
 舌打ちをしてナーバンはオランピアが消えた木々の間を睨みつける。
 追いかければ死ぬ。
 それが動きのとれない狭い木々の中で樹海の魔物に襲われてか、今消えた少女によってかはわからない。しかしそれははっきりとした確信となって、ナーバンに芽生えはじめた冒険者としての心の警鐘を鳴らしていた。
<しんじゃったら、なんにもなくなっちゃう>
 どこからか、声がした。
 その声に眩暈を感じて、ナーバンは小さくよろけた。それに気づいたのは傍らのエリホだけだったが、あまりに短い一瞬だったので何も言葉を発しないままでいた。


「船に行く」
 翌朝、樹海からもどったナーバンはまたもそう言った。
 彼の焦りをずっと感じていた面々の訝しげな顔を他所に、今度は昼の海でナーバンはただ黄昏た。
 半日の航海とも言えない遊覧を終えて戻ると、ナーバンは自室へと戻ったらしい。
らしいと言うのは、港を出たナーバンが「先に戻る。今日の探索はナシだ」と言い残して足早に宿へと向かってから、誰も彼を見ていないからだ。
 ただ宿屋の息子がした
「さっき見た気がしますけど、夕飯の仕込を手伝っていたので、確かではないです」
 という曖昧な目撃証言を採用して「戻ったのだろう」という結論を得ただけのことだった。


 そしてさらに翌朝、キタツミは見た。
 掲示板に書かれた「しばらく探索は休み、再開時はここに書く」との伝言を。
 そしてさらに昼、エリホは見た。
 無理を言って鍵を明けてもらった、主を欠いた廊下の奥のスイートルームを。
 そしてその日、シバンポもアワザも、ただの一度も見なかった。
 己のギルドの自分勝手なリーダーの姿を。


 これが、ギルド「ツーカチッテ」がこの世界に残した最初の冒険の記録、始まりの六日間の出来事であった。


始まりの6日間(その5)

 (――何をしている)
「あ、それ弱いけど毒草ね。ってまあ、いきなり樹海のもの口に入れるヤツなんていないだろうけど」
「トコロがドッコイでスよ!」
 歩きながらキタツミが指差した草を言うが早いか毟り取ったシボンパは、何を思ったかそれをアワザの口へ押し込む。
「ちょっ、なにやってんの!?」
「ん、ああこれか」
 押し込まれた草を吐き出そうともせずにそのまま咀嚼するアワザにキタツミとエリホは目を丸くする。
 ふてくされたような表情だったナーバンも、さすがの事態に少しだけ体を強張らせた。
「確かに毒性はあるが、子供でもなければ腹も下さん。むしろ血行に作用するので滋養強壮に使うこともある」
「うえ? ホント?」
 控えめに力こぶしを作って見せるアワザに信じられないという表情のキタツミ。
 そのキタツミに後ろから覆いかぶさるようにシバンポが抱きついて笑う。
「ウフフでス! シバンポ物知リなのでス。自然はトモダチでスから」
「確かに、書物で得た知識だけじゃダメね」
 笑いあうその姿は、一昨日まで鬼気迫る様子で迷宮を行進していた一行と同じだとは到底思えなかった。

(――そんな余裕はないはずだ)
「よっし、ヤマネコはもう大丈夫そうだね」
「ああ、これで無駄に逃げ回る時間が省けるな」
 足元に横たわるヤマネコの死体から、素材として使えそうな部位をアワザが切り取っている。それを見下ろしてキタツミと語るナーバンは満足そうだ。
 先日不覚をとった相手ではあったが、今しがたの戦闘では殆ど誰も手傷を負うことなく斬り伏せている。
 素早い動きはアワザが正面で受け止めることでストップをかけて、鋭い爪は振り下ろされる前にエリホが銃で弾く。牙など剥く暇も与えずにキタツミが拳を叩き込めばもはやそこにいるのは新米キラーの魔獣ではない、ただ体の大きな怯んだネコだった。たかだか二日でこの成果は新人ギルドとしては驚異的な成長と言える。
「んじゃあ、行く?」
 くい、とキタツミが親指で示した先には階段があった。リーダーのナーバンはこの提案に当然の如く首を縦に振る、誰もがそう思っていた。
「いや、向こう側にもう少し道が見えるだろ」
「い、いいのですか?」
「なんかその、気持ち悪いだろ、道があるのに行かないのは」
 その言葉に応えたのはキタツミの平手だった。
 ぱぁんと小気味いい音がして背をはたかれたナーバンは驚きで怒りも湧かない。
「冒険者らしくなってきたじゃない」
「あまり先を急かすとお前らがバテるからな」
 ナーバンのその言葉はそのまま先日の自分への反省だったが、それを皮肉ることもなく皆は笑って階段に背を向けた。

(――手に入れなければいけないのに)
 しばらくの探索の後、今度こそ行ける場所が無くなり二階へと歩を進める一行。
 寄り道だったはずの奥の通路で入り口近くに通じる抜け道を見つけたのは大きな収穫で、ナーバンなどはさもこのために遠回りしたのだと言わんばかりの顔をしていた。だが、その得意げな顔が仏頂面に変わるのにそう時間はいらなかった。二階へ降りてすぐのことである。
「足を止めろ、そこの冒険者よ! 二階に来たばかりの新米か?」
 話しかけてきたのはなんとも奇妙な男だった。
「……ただ、互いの力量を量ることなく愚かにも魔物に突撃し、死んでいく新米ギルドがあまりに多いのだ」
 何が、と言われるとツーカチッテの誰もはっきりとは答えられなかっただろう。その奇妙さの正体を。
 ただわかるのはその腰に挿した二本の剣は倭刀の類であるのにその装備はどうにもシノビのものではないこと、一見軽薄そうな長めの金髪に隠れた視線は鋭く突き刺さるようであること、
「お前たちにも忠告しておく。敵の動きを見て、行動を読んでそして己の動きを決めるんだ」
 新米冒険者に道を示す先輩のように見えるのに、何故こうも攻撃的なのか。出で立ちのことだけではなく、彼もまた何か矛盾を抱えている。特にキタツミの目にはそう映っていた。
「お前は誰だ」
「俺か? 今は俺の事はどうでもよい」
 ナーバンの言葉を軽くあしらうと、金髪の男は件の魔物のいる道をこれ見よがしに避けながら樹海の奥へと消えて行った。
「どう思う」
 珍しくナーバンから意見を求められてキタツミは一瞬戸惑ったが、皆の疑問が一致していることを感じて率直な意見を述べる。
「うさんくさいね。あと……強い」
「あっちは?」
 親指で指し示したのは遠目に見える影だ。先ほどの青年が警戒を促した相手、小さく見積もっても人の数倍はあるだろう巨体の大蜥蜴。徘徊する姿は不吉の象徴のようで、一階で苦戦したヤマネコのように不意に襲ってくるわけではなく悠然と歩いているのがなおさら緊張感を掻き立てた。
「……まだ無理、って感じかな。さっきのヤツが戦えば……うん、多分だけどラクショーぐらいの強さ」
「つまり……」
「さっきのスカしたヤツをブン殴るにはアレくらい倒せないとダメってことだね」
 不機嫌そうなナーバンの表情から読み取った考えを声に出してみると、当のナーバンがニヤリと笑った。

(――なんでこんな余計なことを)
「確認するよ! 各々一撃与えたら離脱! 回復はできるだけ飛ばすけどアタシが真っ先に倒れるかもしれないからあてにしないでね!」
「優先順位はロイヤルベールのあるナーバン、次いで速度の出るエリホ。俺のことは気にしなくていい」
 キタツミとアワザの指示に頷いて武器を構える面々。眼前にはそびえる大蜥蜴の姿。不意を突くエリホの銃弾が顔の付近の皮膚を軽く削り、戦闘態勢になった大蜥蜴の腕をアワザがかち上げる。逆の腕が振るわれ、爪がシバンポを掠めて崩れたところにキタツミの回復が飛び、ナーバンの号令に皆が士気を高める。直後、大振りの爪を一瞬硬直した足運びの合間に真正面から受け止めてしまったアワザが吹き飛ばされ、その体を抱え全力で転身した。
 時間にして数秒、あっという間に戦線から離脱して一同、ボロボロの体で何故か笑いあった。
 先の青年の言葉を軽んじたわけではなかった。もちろん、彼我の実力差を測れなかったわけでもない。だがナーバンの提案、その実力差をきちんと感じておきたいという提案にだれも反対はしなかった。一番の慎重派であるキタツミが無理は絶対にしないという条件付ではあるが推奨したくらいである。
 だから真正面から挑んだのだ。蛮勇ではない、強いて言うならば――
「くそ……遠いな」
 握ったままだった短剣を地に突き立てて歯噛みするナーバンにエリホはそっと寄り添う。気がついたアワザは苦笑し、キタツミとシバンポの表情は読めない。己の力量不足を誰もが感じ、そしてそれぞれが心に何かを誓っていた。

(――だが)
「くそ……それにしても」
(――認めたくはないが)
「楽しい……な」
 ナーバンの言葉に全員が目を丸くした。
「ナーバン様?」
 覗き込むエリホから視線を逸らして口をへの字に結んだ姿に思わずキタツミが噴き出す。
「ぷっ、ははははは! そうだね、楽しい。確かにこういうのが冒険だよ」
 危険を冒して何かをつかむ。掴むためにあえて危険を冒す。
 そう、それは強いて言うならば冒険そのものだった。
「ふん」
 それきりナーバンは口を開かず、視線も合わせなかった。
 でもきっと、腕を組んだまま宿への道を歩くエリホがずっと微笑んでいたからその顔は笑顔だったのだろう。

(――生きることは、こんなにも楽しい)


始まりの6日間(その4)

 皇帝ノ月二日の朝、ボイコットを伝えるべく食堂を訪れたキタツミ率いる女性陣が見たのは意外な光景だった。
 冒険者たちでざわつく朝の食堂の壁際、宿の自慢の一つである引き立てのコーヒーの味と香りを台無しにするようにどばどばとミルクを注ぎ込んでいたのはアワザだった。六人掛けの席にいるのは彼一人、ナーバンは、昨日あれだけの横暴を押し通した金髪の小さな暴君はどこにもいなかった。
「起きてこない? あれだけ焦ってたヤツがなんで?」
 心底意外だという顔で尋ねたキタツミに、白く濁ったコーヒーに砂糖を流しこみながらアワザは答える。
「起きられないんだそうだ。手足が異常に重く、置きあがろうとすると背中に激痛が走る。肌がパンパンと張る感じがして触るとのけぞるほど痛む、と」
「まさか! ナーバン様の体に何か!? もしや昨日の探索で魔物に毒かなにかを食らったとか!?」
 蒼白になるエリホに対し、キタツミは無言、アワザも取り乱す様子はない。むしろ説明を聞くほどに、発散しようとしていた熱気が薄れていくのをキタツミは感じていた。
「ねえ、それ……」
「ああ、筋肉痛だ」
「ぶっ」
 呆気にとられるキタツミとエリホ。誰かが噴き出す声が聞こえた。

「ねえエリホちゃん、体どう? 痛い?」
 席に着いて食後の紅茶を飲みながらキタツミは尋ねる。
「あ、ええと……さすがに節々は痛いですけど、動けないほどでは……」
「シバンポは?」
「ゲンキでス!」
 続けての問いかけににっこりと微笑むシバンポと、何一つ問題はない自分の体、目の前の隆々としたアワザの肉体を見比べて盛大なため息をつく。
「つまり、アイツは完全な素人だったってわけね……」
「翌日に疲れを残さないのは冒険者の基本だ、いや、冒険者に限らず普通に生きていれば自分の限界くらいはわかるはずなんだがな」
 たった一日の付き合いだったが、寡黙だと踏んでいたアワザが意外と喋るのでキタツミは驚く。が、語る内容は至極まともなので頷いてもう一度ため息。
 異常なまでに焦りを先行させ、強行された昨日の探索。その強行に、提案者だけがついていけなかった事実。また矛盾している。
 この矛盾の正体がわからないままこのギルドが活動していくことは危険、というよりは不安であるとキタツミは考える。
 割り込む形で加わったにもかかわらず、事実上サブリーダーの位置になってしまっているおせっかいな自分の性分に苦笑いしながらテーブルを見回すと誰の手元のカップにもう飲み物は残っていなかった。それでも誰もおかわりを頼んだり、席を立ったりしないのは彼女の指示を待っているのだろう。
 結局はそういうこと。ナーバンが何を思ってかは知らないが、そういう人間を集めた結果がこのツーカチッテなのだ。
「とりあえず、筋肉痛で寝込んでる王子様に面会に行きましょうか」
 キタツミの提案は当然の如く、満場一致で受け入れられた。

 ノックの音ががらんとした廊下に響いた。
 昼過ぎともなれば冒険者の殆どは樹海へと入っている。残っているのは事情を抱えて留まっているものか怠け者のどちらかだが、その数は多くない。
 結構な回数のノックにも呼びかけるキタツミの大声にも誰も反応しなかったのはそういうわけだ。ただ、呼びかけられている本人、ナーバンからの応答もなかったのだが。
「入るわよー」
 無言に対して危機感を感じるでもなく、おそらく起こっている中の状況を予想しながらキタツミは扉をあけた。
 ナーバンの部屋は宿屋の廊下の突き当たり、一番奥のスイートルーム。といっても冒険者御用達の宿だからそこまで豪壮なものではなく、ベッドの素材がよくて広い、その程度の部屋だった。他のメンバーは普通の冒険者と同じようにその日その日で宿をとることになっており、特に予約をすることもない。それがいつ死ぬかもわからない冒険者達の流儀であった。
 だが、ナーバンは違う。あの日持っていた有り余る金でその部屋を超長期に渡って借りたのだ。他の人間とは決して同じ部屋にならないように、一人でいられる部屋を手に入れたのだ。
(また矛盾してる)
 キタツミは部屋に入るとそう思った。
 自分たちの物と比べればそれなりに豪華な部屋にぽつんと置かれたズタ袋。豪奢な服装に身を包みながら這いつくばった自分たちのギルドリーダー。
 矛盾を次々問い詰めてやろう、自己管理もできないことを皮肉ってやろう、情けない姿を笑ってやろう。そう考えていたキタツミの表情は固まっていた。理由はどうあれ、動かない体をなんとか立たせようとしているナーバンの必死な姿は到底笑えるものではなかった。
「……大丈夫?」
 ようやく絞りだした台詞がそれだった。踏み出した足に走った痛みによろめくナーバンの体を駆け寄って支えると、後ろから走りこんでエリホがその体を受け取る。
「ナーバン様!」
「お前ら……よし……樹海へ行くぞ」
 聞いた全員が息を飲んだ。もはや無茶などという次元ではない。しかしその言葉は、意思は、あまりに強く咄嗟に否定できる者はいなかった。
「なにをしてる……いっ……」
「ダメです!」
 最初に動いたのはエリホだった。抱きとめていた体をそのまま抱きしめて放さない。
「いっ、いだだだだ!? 待てエリホおまっ、はな、放せ!」
「放しません! 今日は休んでください! わっ、私たちは、今日はっ、ぼ、ボイコットしにきたんです!」
 ボイコットをしに来るという表現はどうにもおかしいのだがエリホの言葉にもまた力があった。
「何だと?」
「今樹海に行かれたら死んでしまいます!」
「それを守るのがお前達の役目だろう!」
「何度でも言います。お休みください! 私、いくらでもお守りします! 命をかけます! でも、私が死んだ後はお守りできません! 今のナーバン様が迷宮に入ったら、多分一度では済みません! だから、だからお願いします!」
 怒気を孕んだ自身の言葉にも怯まないエリホの姿は、誰よりまず当のナーバンを驚かせた。
 二人のやり取りをじっと見つめていたアワザが口を開く。
「契約分は働かせろ、契約者死亡で金持ち逃げでは寝覚めが悪い」
 続けてシバンポも叫ぶ。
「ゴシュジン! 無茶はダメでス!」
 そこまで見て、ため息の後に、キタツミはしゃがみ込んでまだエリホに抱きつかれたままのナーバンに目線を合わせてゆっくりと語りかける。
「あのね、あのさ……えーと、アンタがなんで焦ってるのかは聞かないし、アタシらが聞けるだけの、あくまで聞ける範囲でよ? その、わがままは聞いてあげる。でも、だから……死に急ぐようなことはやめて。あー、でもできれば冒険の目標くらいはいつか聞かせてくれると嬉しいかな? それなら今後もヨロシクしてあげる。わかった?」
 噛み含めるような口調で諭されて、ことさらバツの悪そうな顔になるナーバン。
 無言を肯定と受け取ってキタツミは立ち上がる。
「それじゃ、今日のところは休みってことにして、明日からまた頑張り……」
「違う」
 背を向けたキタツミに声がかけられる。
 振り向くと、肩にエリホをぶら下げたまま満身創痍のはずのナーバンが立ち上がっていた。全身を襲う痛みに顔をゆがめ、ただ立っているだけで膝が笑っている。それでも今度は、立っている キタツミの視線に自分が合わせるようにと真っ直ぐ顔を上げて睨みつける。
「ナーバン様!?」
 エリホが慌てて手を放す。一瞬ぐらりと揺れた体は踏ん張った足の痛みと引き換えになんとか踏みとどまっていた。
「違う、俺は死に急いでなんかいない。俺は消えたく、死にたくないんだ……だから目指している。あるはずなんだ、迷宮の奥に、俺の望むもの……急がないと、いけないんだ!」
「そ。うん、わかった。じゃあ、精一杯がんばろう、全員でそれを見つけられるように、ね?」
 言って、また膝を折るナーバンにキタツミは満足げに微笑んだ。
 メンバーが次々と部屋を出ていく。決意を新たにしたような、なにか満ち足りたような表情で堂々と出て行った。


 ただその夜、なんとか動けるようになったナーバンがちょっとだけでもと言ってやはり強引に樹海へと向かった時にはその満足度はおよそ七割くらいにまで減少していたものの、という注釈は付け加えておく必要があるだろうが。


始まりの6日間(その3)

 「ふっざけんじゃないよ!」
 アーマンの宿のロビーに木霊する女性の声。
 小さないざこざなど日常茶飯事のこの冒険者御用達の宿であってもよく通るキタツミの声は他のギルドの注目を浴びるのに充分なものだった。視線がツーカチッテに、その中でもテーブルに足を乗せんばかりの勢いで怒鳴り続ける赤髪のモンクに注がれた。
「話にならんな」
「ならんのはアンタよバカ! あのね、ホントに何考えてんの!? 正気じゃないわ!」
「だったら抜けろ。俺たちだけで行く」
 相対するナーバンはあくまで感情を露わにせずに淡々と言う。隣では寄り添ったエリホが無言で抗議の視線をキタツミに送り続けている。アワザは同じく無言だが、キタツミの近くに座っているのがほんの少しの自己主張にも見えた。シバンポは、というと話の内容を分かっているのかいないのか、ただニコニコと微笑んでいた。ただし柱の陰で。
「だーかーら! それじゃ回復する人がいないでしょ!」
「俺のロイヤルベールで充分だ」
「アンタが攻撃されたら終わりじゃない!」
「そこを守るのが仲間だろ? さ、時間だ」
 口の端を上げてわざとらしい笑顔を作って席を立ったナーバンにしばし絶句して、赤い顔をさらに真っ赤にしてキタツミは怒鳴る。
「――ッ……心にもないことを!!」
 振り下ろされた拳はロビーの机にしっかりと型を残し、その場には盛大な音の余韻を残した。奥から慌てて宿屋の子供が駆けだしてきた。
 音に驚いて、あるいは宿の子の方に向けられて逸らされた視線たちが再び捕えたキタツミの姿は開け放たれた入り口の扉から飛び出して行った悔しそうな背中だった。

 時間は夜の七時。
 日付は、いまだ皇帝ノ月の一日である。
 昼過ぎまでの無謀な強行軍によって大部分が埋められた一階用の白地図と引き換えに、前衛のうち二人が倒れてからまだ数時間しか経過していない。
 あの時、なんとか街へと帰還した一行はひとまず宿へ戻って治療と休養をとる予定だった。いや、あくまでその予定はキタツミの脳内のものであって、実際に宿について行われたのは応急的な治療と数時間の休憩だけだった。その数時間すらキタツミが進言しなければ存在せず、樹海へ取って返していたに違いない。それほどにナーバンは探索を急いでいた。それは誰の目にも明らかなほど異常な焦りであった。
 キタツミには、もちろん他の誰にもだが、その焦りの理由がわからなかった。もっと言えば、理解ができなかった。
 彼女の考えうる常識の中には、どれだけ重要な理由であろうと死の危険よりも優先するものは存在していなかったからだ。あくまで利己で動いているように見えるナーバンが、その実誰よりも自身の命をないがしろにしている事実、その矛盾がいつまでもキタツミの心にこびりついて拭えなかった。とはいえ樹海に戻ってしまった以上は誰も死なせないことを考える方が優先である。パーティーの要であることを言い聞かせて自ら頬を一つ張ると、前を歩くナーバンがその音で一瞬だけ振り向くのが彼女の目に映った。

「……帰るぞ」
 ナーバンがそう言ったのはそれから六時間ほど後のことだった。
 歩ける範囲で一階の全てを回り地図を完成させるまでにおよそ十と八時間。日付は変わって皇帝ノ月二日の午前一時だった。
ギルド『ツーカチッテ』の記念すべき一日目はようやく終わる。


「ねぇ、明日の探索ボイコットしない?」
 宿に戻ったキタツミは女性部屋で風呂上りのエリホとシバンポにそう言った。
「何故、ですか」
 おや、とキタツミは思う。聞き返してきたのはシバンポではなくエリホだったからだ。
 ナーバンを崇拝する狂信者のごとき彼女はそんな疑問の余地もなく反対するだろうと覚悟していたからである。
 部屋に別れる際にナーバンの言った「明日も今日と同じ時間から探索だからな、遅れるな」を盲目的に遂行するのだと、そう思っていた。色々と説得の言葉を用意していたキタツミは少し戸惑ったがベッドに転がったまま言葉を選んで答える。
「んっと……今日みたいなの、よくないと思うんだ。ナーバンが迷宮制覇を焦ってるのはわかるんだけど、これじゃ持たない。アタシがとかアンタがじゃなくて、アイツ自身がだよ。どんな理由や目的あろうと、死んだら終わりなんだ。これを続けたらどんな熟練の冒険者だって万全じゃいられないはずだよ」
 とりあえず言葉を切ってエリホの反応を見るキタツミ。しばらくは互いに無言だったが、ほどなくしてエリホが口を開いた。
「……私も今日の探索は危ないと思いました。帰って来た時のナーバン様、明らかに限界でした。ケガや罠からは命をかけて守れても、体力だけはどうしようもありません。できるだけのことはして差し上げたいです。でも、無茶はやめていただきたい……と、思います」
 ぽつぽつと語るエリホはキタツミの目にやたらと新鮮に見えた。ナーバンの言葉に唯一反発する自分を敵意に満ちた目で睨みつけてきた少女と同じとは思えなかった。二面性のある性格なのだろうか? 自分に問いかけてキタツミはNOの答えを弾き出す。冷静に考えて見ればこの意見すら大局的にはナーバンを守るための方策であって自分のことは二の次である。ナーバンとはまた違った危うさを感じながらも、賛同してくれたことに対しては素直に嬉しく思いキタツミは顔をほころばせた。
「それじゃまあ、アイツが考え直すまで冒険には出ない、ってことで。シバンポちゃんもいいかな?」
 濡れた髪をタオルで押さえているシバンポに声をかけると、振り返った彼女は穏やかに笑って「ムチャ、よくナイデス。ゴシュジン死んダラ、困りマス」とだけ言った。
「決まりだね。でもまあ、たぶん朝からガンガンやりあうことになるだろうし、早めに寝ておこう」
 言ってキタツミが消灯する構えを見せるとシバンポはベッドに滑りこみ、エリホも体を横にした。
 心と身体を多大な疲労感に包まれた彼女達には、すぐさま深い海の底のような眠りが訪れる。
 消灯から数分後にはもう、その部屋で起きている者はいなかった。


始まりの6日間(その2)

 目に飛び込んできたのは弾けるように鮮やかな赤と緑だった。
 ここ、アーモロードの迷宮において最も浅い第一の階層は「垂水ノ樹海」と呼ばれている。これは元老院が何らかの通達をする際に実際に使っている呼称であり、公式の物と言って差し支えないものだった。逆に言うと、それくらいメジャーで大したことのない場所であるということだ。未知の深層については呼称はおろかどのような環境であるかすら判然としていないはずだ。
 そんな、この国の冒険者のほとんどが日常的に出入りする場所に降り立って感涙をこらえていたのはナーバンその人である。しかしそれも一瞬のこと、真横にいたエリホにすらそのことを悟らせぬ間に視線は樹海の奥を見つめて鋭く砥がれた。
「行くぞォ!」
 前触れもなく怒号を上げて駆けだすナーバンに少し遅れてエリホが、そして他の面々が続く。が、その進軍は数十歩で強制的に中断された。
 赤く咲き乱れる花の間から不意に飛び出した赤い影。この階層で最も良く見られ、そして弱い魔物、噛みつき魚だった。一般的な魚とは異なる敵意に満ちた目、そして攻撃力に優れた牙がギラギラと光る。
 すぐさま、面々がそれぞれの手に武器を構えて戦闘体制に入ると、待っていたわけではないだろうが魔物は襲いかかってきた。
 切り、突き、噛まれ、叩き、貫き、打ち伏せる。
 ぶつかり、はじかれ、かわし、ふりむき、斬り捨てる。
 数十秒の初戦闘はツーカチッテの勝利であっけなく幕を閉じ、各々の心に何かを残した。
 ある者には手ごたえを、ある者には焦燥を、ある者には恐怖を。
 それぞれの心に落ちたその色はじわじわと広がり、いずれ心を染め上げるかもしれない。しかし今はただ、これから始まる多くの勝利とは確実に違う一勝に自然と誰もが勝ち鬨を上げていた。

 それから数時間の探索は順調そのものだった。いや、順調というのはあくまで工程の問題である。慣れない迷宮内で削られる気力と体力から目を背けて突き進む一行。
「自称冒険者はいらないよ」
 彼らを見るなりそう言った元老院の老婆の言葉に反骨するように、新人とは思えぬほどの速度で白地図は色に満ちていく。そのペースであればあの老婆が一認める「冒険者」としての試験である一階の地図の制作は時間の問題だった。しかしそれはもしその行軍を続けられるのならば、の話である。
 実のところ、誰もがこの無茶苦茶な速度での探索をを支持して行っていたわけではない。ただナーバンに追従するか、あるいはその行為に対し何の感情も抱いていないか、それだけのなし崩し的な強行軍であったのだ。そんなもの、崩れるほうがよっぽど時間の問題だった。
「ちょっと、待ちなさいって! エリホちゃん息切れてるでしょ! あ、ほら後ろの隊列と離れてる! アンタ戦闘になったら後ろに下がるんだからそんなに前にでるんじゃないの! コラ! 聞いてる!?」
 ただ一人不満を隠そうとしないキタツミは声を上げ続けていたが、ナーバンは時折うざったそうに後ろを振り返って舌打ちをするだけだった。それ以外、その目は常に前を、そしてその先を見つめ続けていた。

 問題の時間は案外に早く訪れた。昼前、それまでと違う魔物と遭遇した時のことだった。
 遭遇から数秒、エリホが血に塗れて倒れたのを皆が半ば呆然と見下ろしていた。
「な……」
「走れっ!」
 困惑した声を出したのはナーバン、意識の綱を手放したエリホを抱き上げて絶叫と共に瞬転したのはアワザだ。
 大きな猫のような魔物だった。動きは機敏、攻撃力はそれまでに戦った他の魔物の比ではなく、ただでさえ万全とはいえない状況で、戦闘すれば全滅は確実だった。だからこのアワザの判断は絶対的に正しい。正しいに違いないのにその瞬間のナーバンの表情は暗雲を思わせるものだった。
 それでも、それまで戦闘中でも殆ど声を発していなかった年長者の叫びにナーバンを含めた全員が駆け出す。露に濡れる樹海の木々に汗の玉を飛ばしながら彼らはその日はじめての逃走を試みた。数十歩走って振り返ると、もうその魔物は興味をなくしたかのように踵を返して茂みに消えていくところだった。
「よし、もうよさそうだ」
 それだけ言ってゆっくりとエリホを地に横たえるとアワザはまた口をつぐむ。目線はナーバンを捕えたまま動かない。無言のままに次の指示を促していた。
「ダメ、街に戻って治療するしかないね」
 エリホの様子を見ていたキタツミがそう言うが、歩み寄ったナーバンはまたもその言葉を黙殺する。そして膝をつくとエリホの体を抱え上げ、顔を引き寄せる。
 懐から出したのは、先程探索中に見つけたネクタルだった。
「ちょっとアンタ、まさか」
 封をあけると一気にそれを口に含んで、そのままエリホに口付けて流しこんだ。
 血の気が引いたエリホの顔に生気が戻り目を覚ますとナーバンはすぐさま進軍を指示した。
「ちょ、待って、待ちなさいコラ!!!こんな無茶苦茶な、ネクタルだって貴重品で……ねえ!」
 キタツミは叫んだがやはり無視された。立ち上がったエリホはぼんやり覚えている唇の感覚に呆けながら真っ赤な顔でふらふらとナーバンについていった。シバンポとアワザが表情を変えずにゆっくりと歩き出すと、キタツミはまたも言いかけた言葉をぶら下げたままそのあとに続く他なかった。
 それからも彼らは次々と地図を描いていく。明らかなオーバーペースで。
 日の当たる花畑も、流れ落ちる水が煌く広場も、生い茂った常緑の道も、全てただの記号に変えて紙へと注ぎ込む。罠にかかった小動物も、注意を促す立て看板も、もはや言葉を発する気力もなくなったキタツミも、全て無視し尽くして前へと進んだ。
 日が真上に昇った頃、キタツミとアワザが同時に膝をつくまでその無茶苦茶は止むことはなかった。


始まりの6日間(その1)

  皇帝ノ月一日。暦が始まったばかりのこの日、ギルド「ツーカチッテ」の四人は元老院の議事堂で責任者の老婆と対峙していた。
「ふぅん、あんたらが世界樹の迷宮にねェ」
 品定めするようにギルドの面々を見る老婆の眼光は鋭く険しい。
 たしかにここ、アーモロードの元老院では世界樹の迷宮を探索する冒険者を募り、支援している。その責任の所在を知らしめるかのように、どんな素人じみた冒険者もどきであろうとも、直接白地図を渡して樹海へ送りだす。それが通例となっていた。だからおそらくはその視線も毎度のことであったろう。しかし先頭に立つ少年の目にはそうは映らなかった。
「俺たちのギルドに何か文句があるのか?」
「ないさ、ガキも素人も散々見てきた。お前達なんぞマシなほうじゃ」
 老婆は口の端を上げて言う。その表情は百戦錬磨のやり手を思わせた。
「そっちこそ、自分たちのギルドに落ち度があるような気がしてるんじゃないかい? 後ろめたくないなら堂々としてりゃいいのさ」
 そう言って老婆が改めてメンバーの姿を見回すと、先頭の少年、ナーバンは殺気を込めて睨み返した。
「まあいいさ、あたしはあの迷宮を制覇してくれればなんだっていい。悪人でも、クソ餓鬼でもね。ほら、持ってきな」
 投げられた白地図を荒っぽく受け取って、返事もせずに議事堂を飛び出すナーバンの後を、残りのメンバーも追った。
「ったく、最近のガキは礼儀がなっちゃないねぇ……。でも、ありゃあちょっと面白そうじゃないか」
 一人部屋に残された老婆は今しがた荒々しく閉められたばかりの扉を見つめて、御伽噺の魔女のように意地悪げに笑った。


「ちっ」
 樹海に向かう道でもナーバンの機嫌は直らなかった。
「すいません、私達が未熟なばかりに、ナーバン様に不愉快な思いを」
 傍らに寄り添うパイレーツの少女は、先ほどのナーバンの態度をたしなめるでもなくむしろ自分を卑下してナーバンに頭を下げる。
 少女は名をエリホと言う。数日前、海岸に打ち上げられているところをナーバンによって助けられたパイレーツで、彼を敬愛し崇拝していた。
「ふん……確かにお前達、いや、俺も含めて新人には違いあるまい。ただ、ヤツの目が気に食わなかっただけだ。何もかもお見通しってあのツラがな」
「しかし」
「くどい。お前達だけのせいではないと、俺が言っている」
 食い下がろうとするエリホをナーバンが一喝すると、どこからか声が聞こえてきた。
「そうそう、そいつの言う通り。お嬢ちゃんは悪くないぞー」
「何!?」
 頭上から聞こえてきた声に反射的に返すナーバン。視線の先にあったのは背の低い建物で、その屋根に一人のモンクがいた。赤い髪を後ろで編んで、青い瞳でナーバンたちを見下ろしている。おそらくは女性であろう。
 ぐっ、と膝を曲げて跳躍すると、その女性はナーバンの目の前に降り立った。数メートルの高さからのジャンプだったにも拘らず、その着地はしなやかで音もしない。
「誰だ、貴様」
「人に名前を聞く時は自分で名乗るのが礼儀って」
「絡んできたのは貴様だろう」
 お決まりの台詞を遮るようにナーバンは問い詰める。
 イタズラが不発に終わった子供のように残念そうな表情でモンクの女性はため息を付く。
「あたしはキタツミ。武者修行中のモンク。といっても、故郷はここだから郷帰りの真っ最中、かな?」
「ナーバンだ、王家の血を引いている。こいつはエリホ、後ろにいるのがシバンポとアワザだ」
 一瞥もせずに指だけで指し示して紹介をするナーバンに、キタツミは不満げな表情になる。が、ナーバンはそれを意にも介せずさらにキタツミに問いかけた。
「さっきのはなんだ? うちのギルドに何か文句があるのか?」
 返答次第ではただで済まさぬという雰囲気のナーバンに対して、キタツミはあくまで緊張感のない不満げな子供のような顔を続けている。
「んー、それなんだけどさ」
 キタツミは言いながら、つかつかと歩み寄りナーバンの横をすり抜けた。
「まずアンタ、なんで何も言わないの?」
 止まったのは先ほどアワザといわれたウォーリアーの前だ。逞しい肉体といかつい顔。いかにも戦士といった風貌の男性で、年の頃は30半ばに見える。
「見たところアンタが最年長、雰囲気からして素人でもないわよね。なんで黙ってこの子のことを見過ごしてるの?」
 腰に手を当てて見上げるように睨まれたアワザは、慌てる様子もなく淡々と答える。
「俺はリーダーに金で雇われた。金の分は雇い主に従う」
「ああ傭兵さんね。でもさ、いくら貰ったか知らないけどこんなガキんちょのお守なんてすることないんじゃない? お金貰ってトンズラしたら?」
 キタツミの言葉にエリホが掴みかかりそうになるのを、ナーバンが腕で制する。
「職業倫理の問題だ」
 それだけ言ってこれ以上の問答はいらぬという顔で口を一文字に結んだアワザを見て、むしろ満足そうにキタツミは頷く。
「まあ、それならいいけど。で、ナーバンくんだっけ? アンタ、この人のこういう話聞いた?」
「必要なかろう」
「どうかしら、彼がたまたまプライドの高い傭兵だったからいいけど、あたしが言ったみたいにトンズラするような人だったらどうするつもり?」
「…………」
 ナーバンは無言。キタツミはとりあえずそちらには触れず、横にいたビーストキングの少女に向き直る。先ほどシバンポと言われていた娘だ。
「あんたはなんでついてきたの?」
「ワタシ、奴隷デス。ナーバン様、ワタシを買った。ダカラ、オトモしまス」
「買った? へぇ、あんた金持ちねぇ」
 後ろに声を飛ばすもナーバンは答えない。
「でも、奴隷なのに見張りも鎖も鉄球もない。逃げちゃえ逃げちゃえ」
 笑って言うキタツミにシバンポは微笑む。
「イエ、ゴシュジンにシタガウ。それが一番ダイジです」
「ま、こっちもこういう子ってわけか」
 アワザの時同様に満足そうに頷いて、後ろ向きに歩き、再びナーバンの前に来ると少し腰を落とした。
 目線をナーバンに合わせるようにして、じっと見つめる。
「なんだ」
「ま、後ろの子、エリホちゃんだっけ。その子はもう首ったけなのが見てわかるから聞かなくてもいいんだけどさ。あんた、本当にこんなメンバーで樹海に入るの? こんなまともに意思の疎通もできてないようなガッタガタのギルドで?」
 じっと見つめる目は、からかうでも叱るでもなく、決意を問うているようだった。
「ああ、あの底に行かなければならない。俺の求めるものがきっとある」
「どうしても?」
「なんだ、邪魔をしようとでも」
「どうしても?」
 質問は許さない、決意を問うている。二度目の問いかけでナーバンにもそれがわかった。
「……どうしてもだ」
「じゃ、よろしく」
 返事を聞くや、キタツミは右手を差し出した。
 一般的には握手を求めるポーズだったが、突然のことにナーバンは意味を図りかねてその手をじっと見ていた。
「何がだ?」
「あたしもついてく、って言ってんの。こんな危なっかしいギルド、見てらんないもん」
「何が目的だ」
 利益にならない、理屈に合わない申し出を理解することができないナーバンは顔をあげることもなくただキタツミの手を見つめ続けながら問う。
「強いて言えば武者修行後の腕試し。でもまあ、本当にお節介で言ってるだけだから、気にしないで。気にしないんでしょ? 相手の思いなんて」
「……確かにそうだったな」
 それまでのやり取りの自分を顧みて、少し笑ってナーバンは言った。
「ならば利用させて貰う」
「はいよ、よろしくね。えっと、なんてギルドだっけ」
「『ツーカチッテ』だ。王家の古い言葉で『地を這う者』という意味を持つ」
 ぱす、と差し出されたキタツミの手を軽く払って、ナーバンは歩き出した。
「あっ、かわいくない子ね全く!」
 すたすたと歩きはじめたナーバンに当然のように三人が連なり、その横を並走するようにキタツミが歩く。
「ほら! 握手! しなさいってば!」
「断る」
 あくまで応える気のないナーバンに業を煮やしたキタツミが無理やりその腕を掴もうとすると、身体をねじ込むようにエリホが割って入った。そしてナーバンの腕に自分の両腕を絡ませると、行き場を無くした手を持て余しているキタツミにアカンベーをして見せる。
「ったく、この子らは……」
 苦笑するキタツミが頭を掻きながらその列の真ん中に入ると、後ろから手を握られた。
「ヨロシク、キタツミサン」
 振り返ると、シバンポがキタツミの手を取って笑っていた。
「ん、あー、うん、よろしくね」
 はにかみながらキタツミは歩く。

 樹海の入り口はもう目の前に迫っていた。


プロローグA「放たれた少年ナーバン」

「は……ハハッ、やった!やったぞ!」
 少年は叫んだ。人目もはばからずに叫んだ。
 そして、一つ唾を吐いて駆け出した。人並みをすり抜けて駆け出した。

 しばらく走って、彼は海岸に出た。
 常夏の島に吹く潮風はじっとりと温く、彼の金色の髪を少しだけ乱した。眼前の海に波は少なく、寄せては返す波が所々でぶつかって平らになってはまた揺れる。
 ここ、海都アーモロードにおいては少し歩くだけで簡単に見ることのできるありふれた風景ではあったが、彼にはそれすら憧れの対象だった。自分を閉じ込めていた牢獄をついに打ち破り見る世界は全てが輝いて、祝福とともに迎え入れているように思えていた。ずっと見つめていたいと考えていたが、自分には時間がないことを思いだして振り返る。
 そこには樹があった。
 ただの樹ではない。
 都市の中央にあるその樹の幹はこの島の何よりも太く、広がる枝はこの島の何よりも広く、そびえる姿はこの島の何よりも高かった。
「世界樹」
 この都市に生まれたものは誰もが共に在り、またその樹には誰もが知る伝説があった。
「樹の下には迷宮があり、その先には100年前に沈んだ古代の超文明都市がある」
 伝説は都市の内に留まらず、島の外からも多くの冒険者をこの地に呼び寄せた。迷宮は確かに存在していた。しかし、未だ誰もその深奥へと到達したものはいない。未知を湛えたその穴は毎日のように新たな冒険者を飲み込み続け、その多くを還しはしなかった。

「もし、本当にあるなら」
 少年は呟いて拳を握る。握られた拳には大きな皮袋が下がっている。
 ずしりと思いその袋を確かめるように軽く振るとジャラ、と金属片が擦れ合うような音が鳴った。
「まずは仲間、いや、手下か……この金でなんとか……」
 言って、視線を一度海へと戻す。
 視界の端に何か、波とは違うものが動いた気がして少年は注視する。
 それが人であることを認めて走りだすと、手元がジャランジャランと派手な音を立てた。

「おい、おい!」
 浜に打ち上げられていたのは少女だった。赤い髪を後ろで編んで、大きく見えた額が印象的な、ずいぶんと幼く見える。
 呼びかけに答えない少女の頬を叩くと、僅かに反応があった。生きている。それだけ確認すると少年は少女を抱えて街へと向かった。女の子って軽いんだな、と手に持った皮袋と比べて考えながら少年は歩く。
 ずぶぬれの少女を抱えた少年の姿を人々は奇異の目で見たが少年は意にも介さない。見られても関係ない、どうせすぐにいなくなる人間の姿だと、そんなことを考えているうちに一番近い医院へと辿り着いた。彼が普段行っていた医院とはかなり離れていたため飛び込んできた少年を知るものはいなかった。
「この子を、助けてくれ」
 少年がそう言って床に少女を横たわらせると奥から顔を出した医師が不快感を露わにした。
「君、どこの子だか知らないが厄介ごとは……」
 医師の言葉を無視して皮袋をまさぐっていた彼は、その中から取り出した数枚の貨幣を床に投げ捨てた。
「これで文句あるか?」
 拾い上げるまでもなく医師は絶句した。
 彼の病院であれば1枚で半年は入院できる額の金貨だった。
「ちょっ……君!?」
 顔を上げた医師の視線の先にはすでに少年の姿はなく、エントラスのドアが軋んだ音を立てて閉まるところだった。

「これで文句あるか?」
 次に少年は服屋で先ほどと同じ言葉を吐いていた。
 店の中でも上から数えたほうが早い高級な服の数々を買い込み、代金の心配をした店主に金貨を投げつけて。

「これで文句あるか?」
 奴隷商人から一人の女性を買い取った。

「これで文句あるか?」
 傭兵にも、同じように言い放った。

「これで文句あるか?」
 冒険者が集まる宿で、自分専用の部屋を用意させた。


 二日後、彼は少女を預けた医院に姿を見せた。
 その姿は二日前とはまるで別人だったが、用件を告げて中から現れた医師が彼を見て何か得心がいったという表情を見せた時、少年はニヤリと笑った。うやうやしく一番高級なベッドのある部屋へ通され、少年はそこに眠る少女を見下ろした。蒼白だった頬には紅が差し、消えかかっていた息吹は確かな寝息に変わっていた。安心して、布団をはがし、襟首を掴んで揺する。
「起きろ」
 医師は一瞬止めるべきかためらったが、部屋に着くまでに彼女が全快に近い状態であることを告げていたのでやむなしと判断して踏みとどまった。
「ふぇ? はぅ?」
「起きたか」
「え? あの? 誰?」
「お前の命の恩人だ」
 少女は襟首を掴まれたまま、そう告げた少年の顔をまじまじと見つめ視線を落として服装をじっくりと眺めた。
「……やっぱり!」
 自分の大声でかすかに残っていた眠気を吹き飛ばすように少女は叫ぶ。
「やっぱり、やっぱり私のことを助けてくれたのは王子様だったんですね!!」
「ああ、そうだ」
 微笑みに邪悪なものを含ませながら少年は即答する。
 貴族然とした風貌に控えめな大きさの王冠を頭上に頂いた少年は少女の体を抱き寄せて、耳元で告げる。
「お前の命は俺が救った、つまり、お前は俺のもの、ということだ」
「え、あの……はい」
 少女は一瞬の戸惑いを見せたが、その高慢な言葉に肯定を返して頬を赤くした。
「では、その命尽きるまでつき合ってもらおう。あの世界樹の迷宮への旅を」
 少年は笑った。
 少女に向けてではなく、確かにそこにいる誰かに向けて笑っていた。

「お名前を教えてもらってもいいですか、王子様」
 少女が問うた。
「ナーバン、王家の血を引き、ギルド『ツーカチッテ』を率いる、お前の主の名前だ」
「ナーバン様……」
 恍惚の表情で尊い物のようにその名を呟く少女に少年、ナーバンもまた問うた。
「お前は、我に従い命を共にするお前の名はなんだ」
「私は、エリホ……貴方に出会うために生まれてきた女、エリホです!」
 笑顔で飛びついてきた彼女の体を抱きとめて、少年は手に持っていた皮袋を振る。
 ポス、と小さな音が一つだけした。
 寝間着のエリホの手を引いて、ナーバンは部屋を出る。
「退院だ」
 いつの間にか扉の外で様子をうかがっていた医師に言葉と共に皮袋を投げつけて通り抜ける。医師がそれを逆さにして振ると、一枚だけの金貨がぽとりと彼の手に落ちた。


 ここに、この物語は一つの始まりを見せる。
 いずれ迷宮の深奥にて一つの結末へと終結する二つの物語の片割れが今、祝福された世界で全速力で動き出した。


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